世界遺産アンコールワット 江戸時代の武士が残した文字がある

世界遺産に関する問題。

訪れる観光客は年間450万人以上。世界最大の旅行口コミサイトでは「行って良かった観光スポット」3年連続第一位を獲得。

東南アジア最大の正解遺産。それがアンコールワット

元々、アンコールワットは9世紀から12世紀にかけて建立されたヒンドゥー教寺院の遺跡群。

国を象徴する建物として、カンボジアの国旗にも採用されている。

今回はそんな世界遺産、アンコールワットからの出題。

その昔、この壮大なアンコールワットにおいて、ある日本人の男が関わった歴史的事実がある。

アンコールワットが世界に知れ渡ったのは1860年、フランスの博物学者アンリ・ムオによって調査されたからとされているが、実は更に200年前の1632年に日本人がアンコールワットを訪れていた事が明らかになった。

アンコールワットの壁には江戸時代の武士が残した文字がある。

三代将軍の徳川家光はアンコールワットに調査に行かしている。現地に書いたのは森本右近太夫一房という武士で壁に自分の父親が長寿でありますようにという事と、母親は亡くなっていたので冥福を祈って書いたとされていて、それが未だに残っている。

何の為に行ったかと言えばその理由はアンコールワットを祇園精舎と間違えたのである。祇園精舎とはインドにあると言われている仏教の聖地のひとつ。当時の日本は仏教信仰が盛んで、熱心な信者は皆祇園精舎を目指していた。しかし、同じ方向にあったアンコールワットを、ここが仏教の聖地と勘違いしていたのである。

そんな江戸時代の武士が仏教の聖地と勘違いし、壁に残した文字とはどのようなものだろうか。

実際にアンコールワットに入ると、その場所は建物内を中心に向かって行った先にある。

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これがその武士が残したとされる文字。よく見ると漢字で書いてあるのが分かるが、カンボジア内戦で黒く塗りつぶされかなり読みづらい。

しかし塗りつぶされる前の写真が残っていた

という事で番組が向かったのは岡山県・津山市にある森本慶三記念館。この博物館の館長はアンコールワットにメッセージを残したという森本家の末裔。この博物館にその秘蔵写真は存在する。

そのはっきりと認識出来る文字の中には森本右近太夫一房の名前があり、最後には寛永九年という年号もあり、まさしく森本右近太夫一房は1632年にアンコールワットを訪ねていたのである。

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森本右近太夫一房は何を記したのかと言えば、全文は「私は、日本の肥州(九州)に住む藤原朝臣森本右近太夫一房である。祇園精舎をめざし、ここまで数千里の海を渡って来た。そして、摂津池田に住む父森本義太夫一吉の現世の長寿の為に、尾張名古屋出身の亡き母  明信大姉の供養の為に、ここに書き記す。 寛永九年正月二十日」となっている。

ちなみに平家物語にも冒頭に「祇園精舎の鐘の音~」というくだりがあるが、祇園精舎には鐘はない。

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