ベルリンの壁崩壊は「今でしょ!」の勘違いから始まった

元TBSアナウンサーの吉川美代子からの出題。

吉川美代子は世界の様々な場所を取材したが、その中でも忘れられない歴史的事件がベルリンの壁の崩壊

第二次世界大戦後の1949年、ドイツの首都ベルリンは東西に分割。社会主義だった東ベルリンに対し、資本主義だった西ベルリンへ自由さと豊かさを求め、東ベルリンの多くが西へと亡命。この流れを食い止める為に作られたのが西ベルリンを囲む、約155kmのベルリンの壁。

そんな時代が長く続いた後に国民に希望を与えたのがベルリンの壁崩壊である。

その20世紀を代表する事件、ベルリンの壁崩壊にまつわる出題。

約30年以上の間、東西ドイツの国民を苦しめ、悲しませ、分断し続けたベルリンの壁の崩壊。そのきっかけは「今でしょ!」の一言。

当時、元ドイツ国会評議会議長エーリッヒ・ホーネッカー政権が非常に危うい状況になってきて、ホーネッカーが政権を諦めないといけない所で、あの壁をどうするかという事で悩んだ。東ドイツは社会主義国で経済的に上手くいってない。国民達が皆逃げ出そうとする。

そこで、当時の政権は全部を食い止めておくのは無理と判断し、ある程度の旅行は認めようという事になった。但し、きちんと政府は出国ビザを発行する事を決議し、整然と国から出ていかせる事にした。もう一つ、反政府分子を締め出し戻れなくさせる考えもあった。

そんな中、報道官にギュンター・シャボウスキーという人がいて、閣議に出ないでメモだけもらって公に発表する事になった。つまり、シャボウスキーは「出国ビザを遅滞なく発給する」という決議の中身を確認しないまま記者会見に臨んだのである。

だからこそ、よく中身を知らないシャボウスキーは政府がまだ決議もしていない、東ドイツ国民は自由に西ドイツに行けるといった趣旨の発言をしてしまった。その際に、イタリアの記者から「それはいつからですか?」と質問され、シャボウスキーは「今でしょ。」と言ってしまったのである。

上記の「遅滞なく」という表現を勘違いし、これを「ただちに」東ドイツ国民は西ドイツに行って良いとシャボウスキーはとらえてしまったのである。

これが瞬く間に報道されてしまったので、その日の夜からグワッと壁の所に東ドイツ国民が行って、壁をぶっ壊したのである。

東西ドイツ ベルリンの壁はどこにあった?

意外とベルリンの壁がどこにあったか理解していない人が多いので補足説明。

東ドイツと西ドイツの国境にベルリンの壁があったと思っている人が多いが、西ベルリンは東ドイツの中に存在し、それをぐるっと囲っていたのがベルリンの壁である。つまり、東ドイツの中に西ベルリンだけ飛び地として入り込んでいたのである。

類似記事

コメントは受け付けていません。

サブコンテンツ

このページの先頭へ